鍼灸師の役割

日本国は今や高齢化社会に突入し、人々は早朝から公園を歩き自分の健康維持に努め、さらに介護システム、訪問介護など、とても快適な老後が保障されているかに見える。

 

しかし一方では、杖をつき足を引きずりながら病院に通う人々。検査結果を聞くため、薬をもらうためだけに2時間も待たされる人の群れ。そして医師、看護師、ヘルパーなど疲労しきった医療関係者。

 

さて、この人々の日常生活の「痛み・疲れ」などの病気寸前状態を鎮痛緩和し、疾病予防する役割ははたして誰が担えばいいのか。

 

私は確信している。その役割の一端を担える者こそ、我々鍼灸師であると。

 

声を大にして訴えたい。痛み、疲れの鎮痛緩和、それは鍼灸師の得意分野ではないか。その実践こそ、鍼灸師に課せられた社会的役割ではないのか、と。

 

しかし、果たすべき役割が目の前に溢れているにもかかわらず、鍼灸免許取得者がはり専門の職に就けないで難民化しているという現状を、いったいどう考えればいいのか。

 

この現状は国家・社会・学校の責任か、否、我々鍼灸師自身にも大きな責任がある。なぜなら難民化する理由は明らかに、鍼灸専科の受け入れ体制が不備だからである。そのうえに、治療実力が養成されないまま社会に放出されているからである。

 

さて、それでは鍼灸師難民の解消、そして病気前状態の鎮痛緩和という社会的役割を果たすためにはどうすればよいのか。 

 

答えはひとつ、すべての鍼灸師が今、目前に呻吟する患者の病苦を除去する治療実力を確実に身につけることしかないのである。

 

そうすることで鍼灸師としての存在意義と生きがいが保障され、社会的役割を担う場が拡がるのである。そのためにも拙書「脉診流氣鍼医術」と「脉診流子午鍼法」は治療実力の向上に必ずやお役に立てるはずである。

 

我田引水の論とは承知しながら、また浅学を顧みずの大声を鍼灸術を愛するがゆえと許していただければ幸いです。

 

平成21年12月18日

 

〜 脉診流「子午鍼法」臨床指南 より