山本浩志氏の『鍼灸の諸問題』を批判する その科学論によせて

1:はじめに

山本浩志氏が昨年より展開してきた「鍼灸の諸問題」の中の「科学論」に対して、田舎鍼灸師の反論を述べたい。

毎日を鍼灸の臨床にあけくれる私と、医師にして漢方薬で診療されている山本氏との間には少なからず鍼灸医術に関する見解の相違は最初から予想される。

しかし、それも容認できる限界というものがある。氏の立論は、誤った科学論をもとに独善と偏見を上のせしたところの発展に後向きの姿勢で貫かれているのである。

だからと言って、一応「鍼灸のための科学論」を提出された氏の努力の行為に対して読みっぱなしというのは失礼であると考える。故に浅学を省みず反論を試みたしだいである。

2:山本氏の「科学論」その誤謬と独善性

1)命題のたてかたについて

「鍼灸理論が科学的理論であるためには」として「その理論に対して我々が経験可能の範囲で反証が加えることができる」ものでなければ科学的理論にはならない、と山本氏はいう(医道の日本誌昭和59年2月号)。

そしてその例として、「『すべてのカラスは黒い』という命題を反証するためには、白いカラスが一羽でも存在すれば、その命題は否定されるので、科学的命題となりうる」といい、それが科学的命題であることの根拠を示す例であるとしている。

しかし、何とも理解しがたい論法であることか。という以前に、この例題のたてかたは、誤っている上に、1人よがりに陥っているといえるものなのである。

何故なら、いわゆる科学的理論であるために「命題が否定」されれば、それが「科学的命題である」という根拠は、どこにもないからである。

氏は科学的な命題の根拠であるとする例題を、それとは無関係な例をたてることにより導こうとしていることに気がついていないのである。

ところで、なぜ無関係であるのか。

すなわち、「白いカラス」が発見されれば「すべてのカラスは黒い」という命題は、ウソとなるのであり、氏の主張とは、逆に、その命題は、破棄されてしまうのである。

又、その命題は、何ら科学的であるという根拠を失うのである。

更には、「白いカラス」が発見された場合、2通りの処理の仕方がある。一つには、それをもカラスであるとして、カラスの概念を拡張するか。二つには、動物学上の鳥類の新種として《カラスでないものとして》、登録するか、なのである。

前者では、「すべてのカラスは黒い」という命題は破棄せざるをえないし、後者は、命題の真であることは破られない。

しかし、これらの場合は、形式的な命題の真偽のための問題でしかなく、その命題の科学性の根拠の当否とは全く関係がないのである。

いずれにしても氏の論法は命題(理論)の科学的根拠を保障することとは無関係の例をあげている。

すなわち、科学における理論(命題)の真理性を求めようとして例をたてる場合、事物の本質にかかわる命題を例としなければ意味がないのである。

たとえば動物学の命題を例とするならば、「すべての鳥類は肺をもっている」という命題が適切なのである。

なぜなら、この場合、生物の進化の過程の研究・比較解剖学的研究などからの結論として得られたものであり、そのようなものとして確立された真理であり、個々の鳥を一つ一つ調べた上でたてられたものではなく、鳥類の本質として導き出されたものだからである。

又、普遍的・必然的な内容を把握するものとして確立されているからである。

つまり、このような命題の例を、事物の科学性の根拠に関係する例といえるのである。

2)実践の観点について

山本氏は「科学」という言葉を使う場合、その真理性の認識がまずもって実践によって検証され保障されるということを知るべきである。

実践の観点をぬきにして「鍼灸の科学化」を論ずるのでは、この問題の考察にとって不十分のそしりはまぬがれないのである(それは臨床実践をしているか否かではなく、その観点に立つという姿勢こそ大切ということである)。

氏は、その観点に立つ姿勢に欠けているからこそ「経絡・経穴は、科学的に解明できない」(医道の日本誌昭和59年8月号)などと断言してはばからないのである。

実践こそが理論(理論的仮説)の検証の役割をはたしていると考えるのは唯物論の見地であるが、これはエンゲルスが『フォイエルバッハ論』の中で、認識の真理性を保障する基準としている見地に他ならない。

つまり、理論(理論的仮説)から導かれた結論(たとえば予測)にもとづいて、自然現象を自分でつくり、これをその諸条件から発生させ、その上それを我々の目的に役立たせることができれば、その理論の真理性は確かめられるとする見地なのである。

この見地から論ずるならば、東洋医学理論(理論的仮説)が、人体の成り立ちや、病苦除去の方法を基本的に解説し、数々の実践的目的のために、成功裡に利用され続けてきた事実故に、この理論の真理性は検証され保障されているといえるのである。

つまり、東洋医学理論(理論的仮説)が、まさに人間の本質に対する普遍的・必然的な内容を認識、反映したものであるといえるのである。

3)誰が「科学的立場を放棄している」のか

医師で鍼灸臨床を行っているS・I氏を批判して「科学的立場を放棄したもの」と山本氏は決めつけている(医道の日本誌昭和59年2月号)。

「体験」「信じる」とか「理屈なしに」などの言葉じりをとらえて、又、S・I氏の前向きの姿勢や、その文意・文脈を無視した山本氏の独善性こそ、「科学的立場を放棄している」と言えるのである。

なんとなれば「科学的立場」であるということは、まず、事実(現象)をつかんだとき、それを認識した上で、その根拠(本質)の認識にたちむかう努力の姿勢をいうからである。すなわち、事実(現象)から根拠(本質)を導き出そうとする前向きの姿勢で貫かれ、そこに存在する法則性を明らかにしようとする実践的努力の立場こそ、科学的であるといえるのである。

だからこそ、S・I氏の二十数年に及ぶ鍼灸実践の観点から言わしめた『現代の西洋医学的手法でもって、未だ経絡の実体が実証されないからといって直ちに経絡を否定するのは早計であろう』という言葉にこそ、科学的立場をはっきりと認めることができるのである。

4)山本氏の独善の論理について

更に氏は断言する「東洋医学上の言葉や概念が誰にとっても同じであることが大前提である。そうでなければ、東洋医学の議論には共通の土俵をもちえず・・・」と。東洋医学理論上の言葉や概念が、山本氏などすべての人にとっても理解できなければ「科学的でない」というのである。

何と手前勝手な意見であることか。言葉や概念の表現や形式がどのようなものであるかは、東洋医学自体の問題〔補論〕なのである。理解したいと欲するならば、東洋医学を勉強するか、時間はかかるが西洋医学的に翻訳する苦労を負う必要があるのである。

つまり、東洋医学理論を理解するのに、自分に都合のよい共通の土俵がないから科学的でないとする山本氏のこのような意見は、氏の一貫した独善の論理の一つなのである。例は悪いが、剣道の試合にフェンシングのルールで臨もうとするようなものではないか。

山本氏は「鍼灸の諸問題」などという問題を設定したからには、事実の認識をよりどころに、その問題の解決の論理を志向すべきである。しかし、氏の論理は、それとは反対の極にある。いうなれば、主観的観念論の泥沼にはまりこんでしまっているのである。

たとえば「東洋医学が科学を受け入れる理論的体系を持つものでない」ので「本当に宝物か、石ころかはわからない」というのである。しかし、これこそ『砂糖と塩をならべて、甘ければ砂糖、辛ければ塩』の例のように、又、赤い花や五重の塔を間近に見ても「この花は赤い」とか「この塔は五重である」とかは言えず、たんなる懐疑のための懐疑という不毛な論理なのである。このような空虚で不毛な思考にいたずらに固執する者に対してはその饒舌にまかせるよりすべはないのである。

<補論>東洋医学自体の問題について

東洋医学理論という場合、次にあげるように多く存在する。

素問・霊枢・難経・甲乙経・千金要方・鍼灸聚英・十四経発揮・古今医統・医方大成論・医心方・杉山三部書・鍼灸重宝記・鍼道発秘などであるが、時代や地域の相違により字句難解で、その理解は相当困難である。故に、その解釈にあたっては、臨床実践が不可欠であり、又、その時代の医学常識にも照らし合わせ、最も理解しやすい言葉で書き表される必要は確かにある。東洋医学理論は真理性を内包した理論的仮説なのであり、それは、実践によって検証されるのである。

本文に於いては、山本氏への反論に重きをおいた故、東洋医学上の諸矛盾についてはあえて述べなかった。

又それは、東洋医学の理論と臨床事実(現象)との間に、明らかなる科学性(真理と法則)が内包されていることを強調したいがためなのである。

3:いわゆる「鍼灸の科学化」の問題

1)「科学」について

そもそも「科学」を考察する場合、その認識に於いて次のごとく重要な前提がある。

第一に、自然を対象とした「自然科学」と社会を対象とした「社会科学」に分科していることを知らなければならない。

そして、それら二つの「個別科学(自然科学・社会科学)」により導かれたところの真理を足場にした「全体の科学」ともいうべき「世界観=哲学」があることも知らねばならない。

すなわち、今日的にはこの「個別科学(自然科学・社会科学)」と「全体科学(世界観=哲学)」との統一的認識こそ重要であり、諸問題の考察には不可欠なものとなっているのである。

換言するに、現代人間社会の諸問題を対象とする「社会科学」と、医学・化学・物理学など自然を対象とする「自然科学」の、この二つの「個別科学」と更には、世界を総体的に把握する「全体の科学(世界観=哲学)」との統一的な認識の方法こそ「鍼灸の科学化」研究の始めとしなければならないのである。

何故ならば鍼灸医術は、多面的な臨床に於ける患者の病苦除去という本質を有し、人間社会の諸関係の中に位置しているからである。そして社会的・公共的存在であり、臨床実践する医術であるからこそ世界総体の諸関連の中でとらえなければ視野狭窄な議論に陥らざるをえないからである。

2)山本氏の「科学論」の混乱について

氏は「科学」の論考において「自然科学」の方法論を科学一般の方法論へまつりあげるという重大な混乱をおこしている。つまり自然科学という個別科学の方法論(それも誤謬の多い)を、全体の科学(世界観=哲学)の方法論へ還元するという誤謬をおかしているのである。

例えば「科学とは、自然現象の中から科学に適した問題(数値として表しやすい性質)を抜きだして、それを研究していく学問である」というように、又、その他あらゆる点で、数学化=精密化=科学化だとする数理的機械論ともいうべき立場に固執しているのである。

そして、その方法論を科学一般の方法論へ還元し、まつりあげているのである。

このような物理学をモデルにした厳密科学ともいうべき数理的・機械論的科学論は、一時期、他の科学も見習うべき目標であると信じられたが、今日ではその結果、現代医療の諸矛盾や公害などの社会矛盾が噴出するに至って見直され、批判されて久しいのである。

いわゆる「鍼灸の科学化」の研究のはじめに、その治療法則(理論)の科学性の根拠を鍼灸医術自体の客観的本質の中に求めようとしないで、数学の適用や数学的表式化の中にのみ発見しようとする姿勢にこそ、その混乱の原因があるのである。

3)はたして『科学はもういらない』のか

K・F師ははたして『科学はもういらない』と論じているのだろうか(医道の日本誌昭和59年4月号)。

その文章の文意・文脈とその基本的姿勢を吟味するに、「悪しき科学はいらない」が「本当の科学は必要である」と理解できるのである。

何故ならばその文章の中でK・F師は数理的・機械的科学論の危険性をするどく洞察して『鍼灸の科学化という問題を狭くケミストリーを中心に数量化して、可視的に認識し得るものだけを科学と認識する』ような科学の方法論はもういらない、と論じている。

そして、本当の科学の方法論は『或る課題を客観性・再現性・普遍妥当性によって系統的に処理し、これを向上発展せしめて、人類の幸せに寄与することができるもの』であると論じているのである。

このK・F師の定義の内容は、前記したところの個別科学(自然科学・社会科学)と全体の科学(世界観=哲学)とをみごとに統一的に認識したものであり、又「医は仁術」という鍼灸医術の本質を科学的に認識した上での発言であるといえる。

これに対して山本氏は「科学とは本来そのようなものではなく、何が本当であるかは言えてもそれが人間の幸せにどう寄与するかは言えない」という偏狭な「科学論」にしがみついている。

前記した山本氏のS・I氏批判のそれと同様に、実践の観点にたちきれないが故に、このように皮相で不毛なベーコンのいう「洞窟のイドラ」を尊奉するような立場におちいるのである。

4:さいごに

山本氏は西洋医学に疑問を持ったから東洋医学を求めた、と述べていたが、何故氏はそうしたのか。

検査・薬づけ・乱診乱療といわれて久しい西洋医学の中にあって、諸々の矛盾を感じたからではなかったか。

もちろん西洋医学はすばらしい。現代医療の担い手であり、本流である。

鍼灸医術は市井の医術である。

しかし「医は仁術」という医の本質を実践してきたが故に、歴史の怒涛の中で地下水脈の如く生き続けてきたのである。

更に、病苦の予防除去という客観的事実があるからこそ、大衆に支持されてきたのである。

したがっていわゆる「鍼灸の科学化」を志向するとき、その客観的事実を大前提に、誰が何のために、誰が誰のために推し進めようとしているのかを見極めなければならない。

売り上げが落ちた鍼灸師が自分のために?

売名目的の科学者が名誉のために?

そんなことで本当の「鍼灸の科学化」が成るわけがない。

「医は仁術」を実践している鍼灸師たちとその事実を支持する科学者が、天下大衆のためにこそ本当の「鍼灸の科学化」を押し進めなければならないと確信する次第である。

 

(追記)本文中のS・I氏とK・F師に関する記述に於いて、お二人におきましては断りもなく言及したことをお許しください。


参考文献

「フォイエルバッハ論」エンゲルス

「哲学ノート」レーニン

「科学の探求とヒューマニズム」岩崎允胤

「学よりも術を」福島弘道

「科学者その方法と世界」中村禎里

 

初出:医道の日本誌 第483号(昭和59年11月号)1984年